ひよこに何が起こったか?
 

死ぬところだったの?

2月18日(水)

ゆうべほど眠れるわけじゃなかったけど、とりあえず元気。
トイレから水がもれるので、その修理をしてもらう。
立ち会ってくれたお掃除のおばさんが、私の笑顔を見て「よかったよかった」ととても喜んでくれる。
どうなるかとほんとに心配したんだよーって言ってくれた。
えへへ、ありがとうございます。
 
見慣れない先生が朝の回診にいらした。
婦人科の部長先生らしい。
意識が定かでないときには診てもらってたらしいけど(^^ゞ

「おお、とても元気になりましたね。よかったよかった」と言われる。
「死ぬかと思うくらい大変だったのにね」と笑っておっしゃった。
「え?そんなに大変だったのですか?」
「うん、とてもたくさんの酸素を送っても吸えなかったからね。とてもあぶなかったよ」といわれて、びっくりした。
やっぱり辛いのはそういうことだったのだ。
自分で呼吸できないと死んでしまうのか・・・・たしかに私がたくさん酸素を吸えるようになったら先生も看護師さんもとても喜んでいたのを思い出す。
いっぱいお話するのがリハビリかもしれない。
個室だから電話があるのだ。いろんなところに電話しようかと思った。
でも電話帳もなにもないのだった・・・・・・。
だから、みんなには年賀状の残りでお便りを出していた。
あれはまだ当選番号を調べてないのであたりかもしれませんよ(笑)

午後からは呼吸器科のT村先生の診察。
呼吸器のT村先生は、私が救急車で運ばれたときにみてくださった先生だ。
「よくここまで回復しましたねえ・・・」としみじみおっしゃった。
「婦人科の先生方のケアがとてもよかったから、ここまで回復したんですね」
といわれた。
今の状態の胸の写真と、手術後の写真を見せてもらった。
腹膜炎から胸膜炎にうつって、2月1日よりも2日の写真が真っ白だった。

「とても厳しい状態でしたよ。両側のそれも重度の胸膜炎、そして肺炎を起こしてここの肺がつぶれていたんですよ。
たくさんの酸素を送っても吸えない状態でしたね」とおっしゃった。
運ばれたときの状況があまりにひどいのでこれは手術が必要になりそうと、すぐに外科に回してくれたそう。
元気になるとみんな口々にすごいことを言ってくださる。
やっぱりあぶなく死ぬところだったんだ・・・・・。
まだ咳き込むこと、だいぶよくなったけど右の肺のところが痛むこと、右の背中が痛いことを話した。

先生は、右のほうが肺と胸膜が癒着を起こしている可能性があるので、そのために咳きこんだり深呼吸すると痛むのは引っ張られて痛むので後遺症として残るとおっしゃった。
肺には神経はないけど、胸膜にはあるのでその痛みなそうだ。
背中が痛くてずっとひでちゃんにさすってもらっていたけど、それは後遺症だったのか。
後遺症が残るなんて考えもしてなかった・・・・・。なんだかショック。
ダンスの決勝踊れるんだろうか・・・・・呼吸は大丈夫なんだろうか。
コンペのときは酸素は必要になるかもしれないなあ・・・
テレビのウリナリの芸能人ダンスでうっちゃんが苦しそうに酸素を吸ってた映像が目に浮かんだ。

でもほんとうに日赤に運ばれたことに感謝した。
たくさんのよい先生にも恵まれた。
やはりまだ私にはやることがたくさんあるのかもしれない。
残りの人生大事にいきなきゃ。 心からそう思った。


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